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2011年1月30日 (日)

農業学と意識改革

 今日みかんの木を一本切り、根っこから引き抜いた。まだ若い木だったのであるが、毎年小さないよかんの実しかならないので植え替えようということで伐ってしまうことにした。
 のこぎりで切っている最中なんだかかわいそうになってきた。この木はこの木なりに精いっぱい生きていたのに…。自分は鬼だと思った。きっと周りのみかんの木はおびえていたかもしれない。
 「ごめんな。」と声かけしながら枝を切り、シャベルを使って根っこを引き抜いたのだが、根っこはしっかりと大地に張っており、枯れてしまった木よりも全然労を要した。
 きっとこのみかんの木は自分がなぜ伐られなければならないのか分からなかっただろうと思う。枯れかけた木は自分の代は終わり、次の若き木に譲ろうと納得してくれもしようが、まだ若くてこれから成長する可能性のある木が、まさか小さな実しかつけないという理由で切り倒されるとは思いもしなかったかもしれない。

 根っこを引き抜き終わった後に思ったこと。それは僕らは現在農業さえも経済学の原理でしかとらえていないということ。それは農業の自然の木(果樹)さえもが経済学でいう最大効用でしかとらえられないのだ。経済学の最大効用とは人間の満足度もっと簡単に言ってしまえば、貨幣価値をもたらすかということだ。
 この数十年の農業とは、農産物の最大効用(最大経済価値)を出すために、農作物に(化学)肥料を与え、消毒をし、そして市場へ出荷してきた。それは日本人の見た目にきれいなものほど美味しいという価値感が生み出したものでも有れば、農協などの指導にもよるのであろう。もしくはスーパーマーケットなどのの安くて(見た目にも)よいものを提供するという方針によるものかもしれない。
 そのために人々は何度も農薬を施された野菜を購入し、それを持って美味しく健康にもいいと考えてきた。また農家は農家で化学肥料や農薬を施すことによって生産性を高めることと引き換えに大地を痛めて、肥料や農薬なしには野菜が育たないという大地にしてしまい、負のスパイラルに陥ろうとしている。
 農業、農作物それは本来経済学に基づくためのものではなく、農業学に基づくものだ。ここ最近では自然学あるいは宇宙学に基づくものとなるべきものだ。より理想を言えば、人間が手を加えることはその農作物がより生命力を大きくするための手助けをすることだ。

 日本の農業問題は現在議論されているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加するかどうか、そして農業就業者の平均年齢が65歳という農業高齢化問題とその後継者問題。
 TPPは現在の日本では農業は間違いねく壊滅的状況になってしまうので言うまでもないが、農業後継者問題について自分なりの意見を述べると、現在の日本の農業問題とはこの化学肥料と農薬による農業が中心となっていることそして経済学の最大効用的農業がおこなわれていることそこに問題があるのではないかと思う。つまり若い人々はそれが本来とは間違った農業であることを無意識的にあるいは直感的に分かっているのではないかと思う。
 本来農業とは自然とともに植物の成長を目にし、そしてそれらを頂くあるいはそれらを出荷するという喜びにあふれた行為である。それが虫食いのない形も整い均一化された物質を最大限作り出す行為となり、しかも天候にも作用される不安定さが後継者をなくしてしまったのではないかと思う。

 今現在あるいはおそらく今後欲せられていくことそれは、安心・安全な農作物を作ること、そしてそれらを提供することに変わって来ると思う。それは先ほども書いた農業学(植物学)、自然学、宇宙学に基づく農業そしてそれらが確立されると若き人々もより農業に生きがいを求めて、そして彼ら独自のスタイルの農業を行っていくようになっていくのではないかと思う。
 
 それにはやはり人々の意識の変革が必要だ。今現在ほどあらゆる分野で人々の意識の変革が求められている時期はない。私たちは現在再度自分達の生活スタイルを見直す時期に来ている。それが早ければ早いほど今後訪れるであろう危機的状況に対処できるし、地球と共生できる新しい社会を作り出すことの芽生えとなるだろう。
 

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